1.求一篇日语作文,中国与日本的不同之处的感想
私がまだ子供の时、夜寝る前にいつも母に物语をしてくれるようねだっていた。そして、私の大好きな昔话、「ジョウガの月上り」を闻かせてもらった。知らず知らずのうちに私は眠りに入って、梦の中で私はジョウガのように空を飞びぬけて月に向かっていった。大きくなるに従って、月に関する诗歌、曲、伝说など、いろんなことと出合って、いつの间にか、私は月が大好きになった。今の私は日本の「纳豆娘」のように「月娘」と言ってもいい。そして、このような私が日本の月と巡り合って、大きな関心を持つようになった。
日本の月との初めての出合いは阿倍仲麻吕さんのおかげで実现したのである。彼の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」の短歌を読んで、「へえ、日本にもこのような月を通して郷愁を述べ表す诗歌もあるんだ」と惊いた。调べたところ、日本人にとって月はただ一つの冷たい、大きな石だけではないということが分かった。月は昔から日本人に好まれてきて、文学、音楽、漫画などに出てくる。日本人の憧れ、望み、幻想を托した存在であるのだと纳得した。
私にとって月に関する日本文化の中で、月见と俳句が一番兴味深い。日本では、月を爱でる习惯は縄文时代に遡ることができる。そして、中国から仲秋の名月を祀る祭事が日本に伝わって、贵族から民间に広がっていくにつれ、伝统的な行事として定着した。贵族たちは月を観赏しながら、舟游びで和歌を咏み、宴を催して月を祀った。それは直接に月を见ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだそうである。民间ではその日に、自然への感谢の気持ちを込めて、月が见える场所にすすきを饰ってお月见料理を供えて月を眺めた。しかし、月见といえば普通、中国では旧暦の8月15日だけであるが、日本ではその日以外に旧暦の9月13日もある。前者は「十五夜」と呼ぶのに対して后者は「十三夜」と呼んで、日本独自の风习である。また、中秋の夜に云などで月が隠れて见えないことを「无月」、雨が降ることを雨月と呼ぶ。そこから日本人の自然に対する繊细的心と锐い感受性が窥われる。
月は日本文化の中に溶け込んで、中でも素晴らしいのは俳句だと思う。「秋もはやはらつく雨に月の形」「名月や畳の上に松の影」「月天心贫しき町を通りけり」。たった十七、十八の仮名に豊かな情景が込められ、作者の心境、その场の雰囲気も窥われる。もともと谜のような月は日本文化の底に流れるさび、わびと结びついて、より神秘的、より魅力的になった。その魅力に溢れた俳句を何度咏んでも饱きない。そして、そこから自然への賛美のみならず、日本人の発想力、知恵、生活への爱情も感じられるような気がする。
その他「かぐや姫」、「姨舍」などのように月は日本の伝说、能、小说、短歌、絵本などに登场した。月を见上げるたびに私は遥かな国に思いを巡らす。海の彼方に同じ月に照らされ、月に関する似た行事や文化を持っている国が存在するかと思うと、何となく心が温かくなり、亲しみも感じる。
中国人も日本人と同じように月を賛美したり、月に诉えかけたり、叹いたりしてきた。中国の古典诗歌、古曲、建筑物、対连、成语なども月と深いつながりがある。こう见れば、日本文化と中国文化、日本人と中国人は月に育てられ、成长してきたと言えるだろう。しかし、あまり忙しい现代の生活の中では、中国人も日本人も私たちを见守ってきた月を忘れているのではないか。ふと空を见上げると、月が寂しそうだなと感じる。だから、时にはコンピュータマウスをはずして、本を闭じて、鉄筋とコンクリートのジャングルを出て、梢にかかる月に挨拶をしに行こう。
最后に、中日関系を月に比喩したいと思う。月は満ちるときも欠ける时もある。晴れる时も昙る时もある。私たち人间にも别れがあり、出会いがあり、悲しんだり、喜んだりする。同じ道理で、両国も完璧な関系になることはできないのである。しかし、私たち中国人と日本人が努力すれば、中日友好交流を月のように三日月から半月に、最后には満月に変化させることができるのではないだろうか。
2.中日生活差异 日语演讲稿 或作文
日本と中国は一衣帯水の隣国だ。古代からいろいろな交流が始まった。両国の生活习惯と文化も深く结びついている。各国は自分の文化に向いた生活方式も食い违っている点があり、本文は日中両国の生活习惯の面での违さを简単に绍介しましょう。
まずは饮食习惯:日本は有利的な地理位置に置かれて、海に囲まれて、海产物が富むだ。米もよく育っている。だから日本の重要饮食物は米と鱼だ。穏やかな気温と富んでいる海产物によって、日本の饮食の特徴はあっさりだ。それに対して、中国は占有面积が広いので、各地方の生活习惯も违っている。重要な农产ぶつは米と小麦だ。北部は冬になると、気温が零度以下にもなり、米が良く育たれないので、小麦が北部の主食になった。人间たちは防寒のために、暖かくて、油っこいうどんを食べている。南部の気温は日本と大体同じなので、生活习惯にも大きな违さがない。ただ、湖南省や四川省等のところの住民は唐辛子が非常に好きで、唐辛子がよく育っている。
想像にもできない辛さは刺激で、美味しいよ。チャンスがあったら、みんなも食べてみよう。
それからは话の言い方だ。日本人は暧昧でいつも远回しをして、中国人は素直で他人の颜を溃した言い方をよくして、何かあったら、我慢できなくて、すぐ怒ったり、他人を责めたりなどをしていると言われたそうです。それはそうですけど、一定とは言えないでしょう。幼いごろ、私达はなんかあったら、我慢できなく、すぐ怒りだした。でも、社会人になると、いろいろなことが経験してから、我々の言い方も変わり続ける。良く考えてから、话したいことを言い出します。どちらがいいかというと人によって、违うでしょう。いつも暧昧して、本気か建前か分かり难いですね。率直な言い方も不十分だ。长所を取り入れ短所を补合って、それで良かったなあ。両国には勉强しあう所がいろいろありますね。
以上はただ个人の理解に応じて発表したものだ、不十分とは当たり前だ。みなさん、アドバイスを闻かせてください。これから、ご満足いただける文章を书けるために努力します。ご清聴,ありがとうございました。
很多地方是简体,老兄如果发表的话自己修改一下吧,仅供参考。
3.求助一篇日语作文 有关日本和中国的区别的 哪位高手帮帮忙 600字左
日本の印象
私は日本に参りまして、4ヶ月に経ちました。日本の生活にも惯れてきましたし、日本语も大分わかるようになりました。
今日は私が日本に対する印象について、话したいと思います。
日本に来て、最初の印象は先ず、交通のルールを皆さんがよく守っていて、车多い割りに交通事故は少なく、スムーズに流れていると思います。
そして、电车の凄さです。朝の通勤ラッシュ时间帯において电车本数の多さと利用客の多さに惊きました。このような电鉄システムがあるので、大都会东京、大阪のような卫星都市型に成り立っているからです。
ただ、一つ残念なことに日本の漫画や雑志について、単纯に売り上げや、视聴率を追求して、その内容を问わず、やがて、青少年に悪い影响を及ぼすことに违いません。それと同様に携帯电话の普及に伴い、小中高生の持ち率も年々上がり、出会いサイトやネット上の中伤など、青少年の犯罪や、自杀等年々増え、社会问题にもなっています。
社会が进化に连れ、いいことが多いですが、必ず副作用のようなものも付いてきます。それに対する対策をも当然改善していますが、青少年には有効な制限或いは措置を望みます。
以上私の日本に対する印象と感想です。
ご清聴ありがとうございます。
今年の建国记念日の休みに、いろんな事やりました。ママとショッピングしに行って、安くてきれいな服を买いました。
10月1日、おじちゃんの结婚式に出ました。亲戚と友达はみんなお祝いしに来て、私はお酒もいっぱい饮みました。
10月2日、高校の时期の友达と一绪にカラオケに行きました。みんなも元気そうで、楽しい一日过ごしました。
10月4日、バスで上海に行きました。その日の夜、大好きの芸能人は上海でライブやりますので、めちゃくちゃ盛り上がりました。
10月5日、电车(“动车”是什么不知道,猜想是电车。嘿嘿,擅自把交通工具整成了电车)で杭州に帰りました。学校に戻ってから、顽张って勉强しなければならないねと思いました。
以上参考的 再用自己的话讲述一下中国与日本的区别应该就可以了吧!FF
4.一段日语小短文 内容是介绍中国和日本不一样的地方 急
文化という言叶は、芸术や学问など人间が生み出した高い达成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人间の社会が长年にわたって形成してきた惯习や振舞いの体系を指す。后者の意味では衣、食、住などの日常生活全般に関わる惯习や、芸能、道徳、宗教から政治、経済といった社会构造まで、その范畴は非常に幅広い。日本の文化も単纯にひとくくりにできるものではなく、様々な要素を含んでおり、古代から中世にいたっては中国を中心としたアジアの近隣诸国、そして明治以降の近~现代では欧米からの影响を受け、吸収・取舍选択を缲り返し、様々な手が加えられて独特な展开を遂げている。日本の伝统文化は、神道を基轴とし、その他の宗教を取り込みながら、时代とともに変迁してきたが、表面的に大きく変化していても、その中に一贯する极めて日本的な要素や倾向を指摘できる面もある(例:住居が和风の座敷から洋间に変わっても、室内に靴を脱いで上がる点では変わらない)。
日本文化を特徴的に示す概念として、「和(わ)」という言叶がしばしば用いられる(例:和语、和文、和歌、和服、和食、和风旅馆など)。「和」は古くから日本を示す言叶で、汉(中国)や洋(西欧)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言叶が使われる场合もある(例:大和言叶、大和魂、大和抚子、大和絵など)。「大和」は本来、奈良地方を指すが、同时に日本全体を示す古い言叶でもある。古代からこの国において不変と考えられる事象を示して呼ぶことが多い。
译文
所谓文化,不仅指由人类创造的、具有一定水准的艺术形式、作品或相关论述之类的东西(High culture,即高雅文化),还包括那些在历史长河中由人类社会逐渐形成的习俗以及行为体系。后者涵盖了衣食住等关系到日常生活的全部习俗、才艺、道德、宗教直至政治、经济这样的社会体制,其范畴及其宽泛。日本文化亦非用一两句话就能够简单表述清楚的,它包含了各种各样的因素。自远古到中世纪,受到来自于以中国为中心的亚洲邻邦各国以及在明治以后的近、现代来自欧美的影响,通过不断吸收和反复取舍并施以再创造,逐步形成了日本所特有的文化模式。日本的传统文化以神道为轴心,在兼收并蓄其他宗教的同时,随着时代的进步而不断有所改变。不过,尽管表面发生很大变化,但仍然可以明确地找到个中那些不离不弃非常明显的日本元素。例如:居所即使由日本风格的“座敷(铺草席的堂屋)”变成了西式的客厅,但登堂入室必须脱鞋这一点终究没有丝毫改变。
最能体现日本文化特征的,是随处可见的“和(わ)”这个词,例如:和语、和文、和歌、和服、和食、和风旅店等。“和”是自古以来最能代表日本的一个词,它常常用来区别于“汉(中国)”或“洋(西欧)”等从外国舶来的事或物。此外,也常有使用“大和(やまと)”这个词的场合,例如:大和言叶(日本词汇)、大和魂(日本精神)、大和抚子(日本石竹)、大和絵(日本画)等。所谓“大和”,虽然原本只指奈良地区,但同时也是代表全部日本的一个古老词汇,大多用于那些被认为在日本亘古不变的事和物。
5.求,一篇日语作文《中国と日本》,要求用简体,200字左右
中国と日本
何千年も昔から、両国は交流を持ち、相互に学び発展してきました。地理的な距离に加え、同じ汉字を使う国として、私は中国と日本をとても近くに感じます。
この作文を书くにあたり、いくつか日本语を调べている时に面白い事に気がつきました。
同じ汉字を使っていると言いましたが、同じ汉字でも违う意味として使用している汉字がいくつかあります。「机」は中国では机械の意味ですが、日本では桌子Tableの意味です。他にも「叶」が日本では愿いが叶うというふうに使われます。
もちろんこれは简体字と日本式繁体字の违いによるものだというのは知っています。
しかし同じ字が全く违う意味として、海を隔てた隣国で生きているのいうのはとても兴味深いと感じます。
人间も同じです。同じくろ髪、くろい目、黄色い肌を持っていますが、きっと违う部分も多くあるのだと思います。
良い部分は取り入れ、両国がこれまで数千年してきたように、私も相互に学び発展していきたいと思います。
6.中国和日本的生活习惯很文化不同的地方,具体的说几句,用日语
ドアをノックするとき、日本人はたいてい2回ですね。中国のかたは
3回が多いのではないですか?
日本はお酒に対しあまいですね。お酒を饮んで少しくらい乱れても、
酔っぱらっているからと许されることが多いです。中国ではお酒を饮んで
乱れると軽蔑されるのではないですか?
中国では少し公式な宴会などでは、恋人とか家族を同伴することが多い
ように感じます。日本では単独で行动することが多いように思います。
中国の方が家族とか、亲戚などの人间関系の绊が强いのでは?
日本は少し冷たい感じかな?(东京のマンションなどにいると隣にどんな人
が住んでいるのかも、わかりません)。
买い物などをすると、中国では売り手と买い手のやりとりがすごいですね。
日本だとあまり、そういう光景はみられませんね。はじめから决まった値段で
これ以上は绝対に下げない、と相手にされませんね。秋叶原あたりだと、少しは
下げるかもしれないけれど。
7.急求 中国人在日本的感想的日语作文
不知是谁在网上写的中文,我把它翻成日语。
不知不觉来日本两个月了,算算时间还真的很快,没出国的时候多么希望快点走,来了又能怎么样,好想家,好想。。
我想现在就是我新的生活吧,一天到晚上班下班,也许生活真的 很乏味但有时候觉得充实,想想觉得 可笑,在一个异国他乡连语言都不懂得国家我要努力的适应,有时候还真的是累,累的自己很麻木。
好想回国,好想亲人们,但是想有什么用,现实就是现实,钱能说话,没钱就说不了话,有时候觉得 还是小时候好,什么都不用想什么都不用担心,但是人总是要长大的 ,有时候告诉自己不要想到那么天真,这事上的事不是自己可以左右的 ,只能说自己尽量让自己过得好
いつの间にか、日本に来てもう二ヶ月が経ち、目まぐるしく时间が过ぎてゆく、
国を出る前は、早く行きたいと愿ってたが、しかし来れば、やはり家恋しい、
ホームシック・・・
これは今の私の新生活です、朝から晩まで働き、生活と言えば确かにとても単调ですが、时々これも充実してるように感じます、考えてみれば、これもおかしいものです、言语の通じない异国で顽张り、自分自身が何も感じなくなるぐらいに时々どうしようもなく疲れてしまいます。
国に帰りたい、家族に会いたい、しかし考えても仕方が有りません、现実のみ、金が物を言う、お金がなきゃ、なに言っても仕方がない、时々子供の顷が一番幸せに思えた、何も考える必要も、心配する必要もなく、しかし人は常に成长し、时々自分に言い闻かせ:天真的に考えないように、こんなことは自分自身がどうこう左右できるものではないので、出来るだけ自分が良く过ごせるように・・・
8.找一篇日语文章关于对日本的生活的
日本料理とは、日本の风土で独特に発达した料理をいう。
その材料、作り方、食べ方などは时代によって非常に异なる。食物に手を加えて食べやすくしたり、2种以上の食品を组み合わせることにより味をよくすることが広义にみて料理であるとするならば、料理の起源は石器时代、あるいはそれ以前までさかのぼるであろう。
しかしこれらの时代は文献はなく、考古学の见地から遗物包含层、贝冢、化石などの発掘・调査により判断することになるので、ここでは文献のある时代から记することにする。日本列岛は季节风に恵まれ、春夏秋冬の别がはっきりしており、それぞれの产物が异なっている。
また生物の种类が非常に多く、とくに鱼类は、世界で生息する种类中、日本产の占める比率が著しく高い。鸟类はさほどではないが、獣类、植物类も面积のわりにその种类は多いほうである。
したがってこれらの动植物で食用になるものを适宜组み合わせて、美味で栄养のある料理をバラエティー豊かにつくりだすことができたのである。